ごあいさつ

昭和60年の夏、
畏友森田忠明氏に、かねてより構想の機関誌発刊の意を伝え
編集の協力を依頼、即座に快諾を得る。早速、雑誌名の協議に移り、
小生の出生が東京都墨田区横川町ゆえ
隅田川の東岸、所謂墨東地域に所属するところから
「濹東」の二文字を使い、更に「春秋」を付け加える事に決める。

理由は森田氏曰く、
「世に春秋の筆法と言う。今の世は将に慨嘆深甚の情況下、
褒貶の判断中正と厳格とを要する。今こそ
小冊子の使命此処にありと信ずるがゆゑに、
宜しく春秋を加へて濹東春秋と為すべし」と。

ここに名は『濹東春秋』と決定、昭和60年8月1日、
発行人青木孝史、編輯人森田忠明により創刊号を世に出すに至った。

当初、所在は東京都江東区亀戸1丁目に置く。
昭和62年4月号(第21号)より、編輯責任者が
沖縄出身の宮城賢秀に引き継がれる。
創刊以来月刊を維持し、平成元年9月を以て第50号を数える。

平成2年秋よりは所を東京都墨田区菊川2丁目に移し、
以後も毎月、号を重ねたが、諸事情により
平成3年9月号(第74号)をもって休刊の已むなきとなる。
長らくの休刊を経て平成23年7月、WEB版へと形は変わったが、
再び復刊の運びと相成った次第である。

青 木 孝 史